前提の違い。

論文読んでて思うのが
「どの程度の知識レベルを前提に書かれているのか。」
共通認識をどこまで仮定するのか。
どのレベルまでを常識と見なすのか。

同じことが「報道」にも。

流行に乗ったまたは特定方向に傾倒した報道の多さ。
前提条件のあやふやさ。
「格差論バブル」もその一つ。
「昭和の日」はいつか知ってる人は何人いるのでしょう?

前提の違いといえば「法律」。

学んでる最中なんですが、「あやふや」なのが前提らしいです。
「入力(事象)の揺らぎを許容するため」なんですがどうなんでしょう。
難読化しているだけにしか見えないんですけど。
「厳格に」かつ「曖昧に」。
そんなもんで裁かれたくない。
医療分野に情報分野が進出しているけども。
法律分野にはあまろ進出していない。
よくて法律条文の電子化程度か?

じゃあどんなのが求められるんだろう。

最終的な判決は人に委ねられるにしても。
適用される条文は固定なはずなのでそこを簡略化すればいいんじゃないかな?

事例を入力→適用可能性のある条文を出力

こんなんでいいんじゃないの?
事例も定型化できるだろうし。

法律家=事例の定型化をする人+適用の判断する人

出来れば前項は省略できるレベルまでに行きたいけども。

政治=法律の制定+法律の見直し

この解釈に間違いはあるのだろうか?
しかしながらいつまでも改正されない法律ってあるんだよね。
そういうのを聖域(サンクチュアリ)化するのはどうなんだろう?
「事なかれ主義」か・・・