考えるか。

そんなに考えてないです。
知ったころから違和感を感じ続けている「背理法
根拠は排中律にあるんだっけ?
でもYes or Noであらわせられないことも多い気が。
そういう場合は元々論理としてふさわしくないと判断するんだっけ?
チューリングマシンとかでも「受理して停止」「不受理で停止」「停止しない」って3状態あるんだから・・・
とか考えてしまうわけ。
あぁそうか。
必ず停止するチューリングマシンの範囲の話になるわけか。
それならまだ納得できるかもしれない。
でも違和感は残る。